妙善寺について

当山は、正面に霊峰富士を仰ぐ高台に位置し、境内には樹齢500年を数える枝垂れ桜があり、時期を迎えると見事な花をつけ春の訪れを伝えてくれます。
その他境内には、樹齢300年を越える枝垂れ槇、糸檜葉があり緑に囲まれた環境です。
当山は、正面に霊峰富士を仰ぐ高台に位置し、境内には樹齢500年を数える枝垂れ桜があり、時期を迎えると見事な花をつけ春の訪れを伝えてくれます。
その他境内には、樹齢300年を越える枝垂れ槇、糸檜葉があり緑に囲まれた環境です。
宗派 | 日蓮宗(鎌倉時代 建長五年 西暦1253年 立教開宗) |
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創建 | 室町時代後期 永正十一年(西暦1514年) |
開山上人 | 林正院日躰上人 (身延山第十三世 法主 宝聚院日傳上人の高弟) |
旧本寺名 | 身延山久遠寺(身延山直末) |
本尊 | 久遠実成の本師釈迦牟尼仏 |
本尊勧請形式 | 一塔両尊四士 |
日蓮聖人像 | 折伏像 |
お曼荼羅 | 本仏釈尊の悟りの世界 仏様の心を具現 法華経「寿量品第十六」に示される仏の姿「二乗作仏」と「久遠実成」 |
当山は総本山身延山久遠寺第13世宝聚院日傳上人の高弟「林正院日躰上人」開山のお寺です。
師匠日傳上人の教えを受け、広く衆生救済のため法華修行の道場を開くべく身延をたち諸国行脚(あんぎゃ)しました。
その中で霊峰富士の麓、羽鮒丘陵の北部通称「西の山」の地において、布教伝道に心血を注がれました。
その教えに心打たれ当地の人々が徐々に信徒となり、日躰上人に「この地に留まり法華道場を開くべくこと」を願い浄財寄進をいたし、西の山の麓の高台に堂宇(庵)を建立し、一寺を為し「妙善寺」開創に至りました。
時は室町時代後期、永正11年(1514年)8月7日のことでした。 爾来、綿々と法灯を護り、地域信仰の場として参りました。
「葬式仏教」というような言葉が、社会に広がり久しくなります。 仏教本来の意義、僧侶としてのあり方が問われています。
大切な方との別れは、生きるということに気づかされる時でもあります。死を迎えるまでの今生での「生」、その時間を深く思う時であると思います。
『死』は終わりではなく、仏教思想においては「新たなる旅立ちの時」であります。死を「恐ろしいもの」ととらえるのではなく、まさに「生あるものの自然の摂理」であります。その「生」の時間を実感し、心を導く教えが仏教には詰まっております。その教えをお伝えしていくのが一僧侶、寺院の勤めであると切に思います。
わたしの好きな言葉に、
『思った通りの人生ではなかったかもましれないけど、
良かったといえる人生だったかもしれない』
という言葉があります。
日々の心の在り様、受け止め方、そして行動、その積み重ねが自分自身の人生を作りあげることになります。いつの時代も変化は常でありますが、現代の変化のスピードはテクノロジーの発達とともに加速度的に進んでおります。心の平穏を保つこともまた大変な時代であります。
葬儀、年忌供養の時、お寺の年中行事、少しでもお伝えできること、そして心の休息、心穏やかな生活を送れるよう、微力ながらでもお役に立てるよう勤めることが、地域にある寺院の役目であると思います。
平成26年8月7日には当山『開山500年』の節目を迎え、縁深き皆様のお力添えをいただき、書院客殿の建設をはじめ境内が整えられました。
お寺を預かる住職として、新たなる気持ちを持ち、精進して参りたいと存じます。
住職 寺尾 是堯
寺院名 | 林正山 妙善寺 |
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宗派 | 日蓮宗 |
住職 | 寺尾 是堯 |
住所 | 〒418-0047 静岡県富士宮市青木910-1 |
アクセス | 東名高速「富士I.C」より、車で20~25分 JR「富士宮」駅より、車で10~15分 |